水田風景

  国道17号バイパスの付近、右岸から行田市小敷田

 忍川は掘込河道であり、はっきりとした堤防はない。

 上流の左岸へ平戸都市水路(雨水)が合流している。

 古い時代から忍川の流域では人々が生活を営んでいた。

 左岸の小敷田地区では、弥生時代中期(紀元前一世紀頃)の方形周溝墓(埼玉県現存最古)の遺跡も見つかっている。

 この付近は荒川扇状地の扇端に位置し、湧水が豊富だったため、古くから水田として開発され、一帯には条里(律令体制化の区画整理された土地)が あった。

 小敷田の東隣の中里地区には蔵殿(ずどん)という地名があるが、忍川の周辺にはこれと似た杣殿、ソウトノという地名も分布している。

 蔵殿やソウトノについてなお、ここから1Km下流の忍川の右岸、持田地区の長福寺には、文化八年(1811)銘の石橋七箇所建立供養塔(巡礼供養塔を兼ねる)がある。

 かつては忍川に石橋が架けられていたのだろうか。


  大字池上の小字名

 尼酒田
 あまさけだ 高根の普門院(尼寺)の前の田で、尼寺前田、尼前田などと呼ばれていたらしいが、いつのまにか酒に変ってしまいこう呼ばれるようになったという。

 稲荷前 
 いなりまえ イナリ(稲荷)神社があったことによると思われる。なお、このイナリ神社は古宮神社に合祀された。

 古宮 
 こみや 古宮神社とその社領があったのでこう呼ばれるようになったと思われる。なお古宮とは文字通り古い宮、古くからある宮、歴史の長い由緒ある宮という意味であろう。

 関下 
 せきした 石の関があり、その下に位置するため、このように呼ばれるようになった。

 高根 
 たかね 高い丘の上に位置するため、この名が生じたらしい。

 高橋 
 たかはし  

 鶴巻 
 つるまき 鶴巻は“弦巻”で弓の弦を巻きつけておくものである。昔、この地に古墳があり、その古墳(円墳)の形が弦巻に似ているところから起こったものと思われる。
 なお弦巻としたのは良い字を当てたものとされる。
 〔熊谷市史・前〕鷹の狩の牧場だったという。つまり鳥(鷹)を養成したところ。

 向釜 
 むこうがま 由来は不明。種井が六ヶ所あったという。(穴田・中釜・渇田など)

 屋敷前 
 やしきまえ (やしきめえ)とも呼んでいる。名主屋敷の前であるのでこのように呼ばれたのであろう。


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  大字小敷田の小字名

 嘉須賀町
 かすがまち 忍川沿いの住宅の付近の小字名、60軒ほどの集落。

 桜町
 さくらまち 荒川の伏流水の湧き出る大どぶの西側。

 竹町
 たけまち 昔から田圃の何もないところが【町】とは 不思議な所。

 御膳
 ごぜん 池上よりの高台になるところ。大きな屋敷のある所では。

 道下
 どてした 

西浦
 にしうら 


  村名の由来

 村内を流れている、星川と古宮用悪水路の【星】と【宮】の一字ずつ取り、星宮村とした。旧星宮小跡地碑文に記載があります。

  地理

河川:忍川、星川に沿う地域。

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  近代以後

 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。

 ほか旧市域では忍県・前橋県に属した村もあり。

 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。

 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併し、埼玉県が成立。

 1874年(明治7年)- 小沼河岸(見沼通船会社の第1会社)が設立され、行田下町(忍川が国道125号と交差する付近)から見沼代用水・隅田川を経由して東京・神田や日本橋まで結ばれ、荷物や乗客が舟運で運ばれるようになる。

 1889年(明治22年)4月1日 - 北埼玉郡成田町・行田町・佐間村が合併し、忍町(おしまち)となる。

 1902年(明治35年)6月 - 行田馬車鉄道が創業。

 1910年(明治43年)9月 - 行田電灯が設立。

 1921年(大正10年) - 北武鉄道(秩父鉄道の前身)が羽生 - 行田(現在の行田市)間を開業(市域内では武州荒木駅、行田市駅が開業)。

 1925年(大正14年)11月15日 - 持田駅が開業。

 1932年(昭和7年)11月20日 - 東行田駅が開業。

 1937年(昭和12年)4月1日 - 北埼玉郡長野村・星河村・持田村が忍町に編入合併

 1949年(昭和24年)4月23日 - 市章を制定する[4]。

 1949年(昭和24年)5月3日 - 忍市として市制施行、即時改称し行田市となる。

 1954年(昭和29年 3月31日 - 北埼玉郡荒木村・須加村・北河原村が行田市に編入合併。

 7月1日 - 北埼玉郡埼玉村が行田市に編入合併。


 1955年(昭和30年)7月20日 - 北埼玉郡星宮村が行田市に編入合併。

 9月30日 - 北埼玉郡太井村のうち、旧棚田村・門井村の区域が行田市に編入合併。

 10月1日 - 池上・下川上が行田市から分離し、熊谷市に編入合併。


 1956年(昭和31年)4月1日 - 北足立郡吹上町から堤根・樋上および下忍の一部が分離し、行田市に編入される。

 1957年(昭和32年)3月31日 - 北埼玉郡太田村が行田市に編入合併。

 1966年(昭和41年)7月1日 - 高崎線行田駅(当時は国鉄)が開業。

 2001年(平成13年) - さいたま市の合併の際に行田市は「埼玉」という地名の発祥の地は行田市内の旧埼玉村であることを理由として、「埼玉市」という新市名に難色を示した。

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 2006年(平成18年)1月1日 - 北埼玉郡南河原村が行田市に編入合併。


  変遷の歴史をまとめ

 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、
池上村、下川上村、上池守村、下池守村、中里村、小敷田村、皿尾村が
合併し北埼玉郡星宮村が成立する。
 旧村は星宮村の大字となる。

 1955年(昭和30年)7月20日 行田市へ編入する。

 10月1日 行田市の一部(池上・下川上)が熊谷市へ編入する。


 平成の大合併と比較してみると、昭和の大合併は、部落単位の村を大規模化し、さらに中核となる市町村へ短期間の間に更に、再合併させるものであった。
合併ありきの方向性と、各々の地区の思惑から変則的になり事前に行田市に合併したため、地区を無視した土地の帰属により飛地が生まれたものと推計される。


【貞観地震(869年)が東日本大震災(2011年)にあたる】 ・貞観地震の6年前:富山県~新潟県で大地震……新潟中越地震(2004年) ・貞観地震の5年前:富士山噴火……富士山噴火(201x年?) ・貞観地震の3年前:新島向山の大噴火……三宅島(1983年、2000年)と大島の噴火(1986年) ・貞観地震の1年前:兵庫県M7以上の地震……阪神淡路大震災(1995年) ・貞観地震と同時期:鳥取県で地震……鳥取県西部地震(2000年) ・貞観地震の9年後:関東諸国地震……首都直下地震(201x年?) ・貞観地震の18年後:仁和地震……南海トラフ3連動地震?(201x年?) 上記のように、貞観地震の前後には、今連続して起きている地震と同様の大地震が起きていたことがわかる。そして、「富士山噴火」「首都直下地震」「南海トラフ地震」に対応する災害が、まだ起きていないのも明白だ。  貞観時代に起きたこれらの地震や噴火が、また必ず起きるというものではない。たとえ起きたとしても、起きる順番などは異なるかもしれない。https://uub.jp/nam/tobiti.html